監督談話│県立岐阜商業高等学校硬式野球部OB会
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県立岐阜商業硬式野球部 鍛冶舎 巧 監督

昭和45年卒 / 県立17回生

神聖な高校野球・・・私は常套句のように言われるそんな言葉=既成概念に縛られるのが何より嫌いだ。変化が大きく、激しい現代、何も常にその先頭に立つ必要はないが、不易と流行を自分なりに整理し、行動に移す融通無碍な対応力こそ大事だと強く思う。その思いを高校野球という現場で行動で示し、結果を出す??そんなことを思い、今般、不振に喘ぐ母校県立岐阜商業高校の監督をお引き受けした。

甲子園で言われて久しかった『北国のチーム』という言葉を消し去った2004年の駒大苫小牧。深紅の大優勝旗が初めて津軽海峡を越えた。
2010年には興南高校が春夏連覇を果たし、大優勝旗は、初めて大隅海峡を越え沖縄に渡った。と同時に、常に背負ってきた『離島のハンデ』という言葉を完全に死語にした。
約50年振りに故郷に戻り指導に携わることになった昨年、私が母校の監督をする必然性、意味合いは何か、自らに問いかけた。
やるからには名門とか古豪と呼ばれるのに甘んじるのは本意ではない。何より『公立ながら、公立だから』等と言われたくもない??
よし?それならこれを期に甲子園から『公立』という言葉を消し去ることにチャレンジしよう。そう思い付いたら重かった心がワクワク、ドキドキしてきた。

あえて公立という言葉を掲げれば、直近2016年選抜の高松商業、2018年選手権の金足農業が優勝まで後一歩と迫った。本来甲子園で戦うのに公立も私立もない。公立だから戦う前からハンデを貰う訳でもない。
県立岐阜商業は甲子園で87勝している。中京大中京、龍谷大平安、PL学園に次いで4位だ。勿論、公立では断トツ1位。しかしこのままでは確実に甲子園という表舞台から姿を消すことになるだろう。2024年には創部100周年を迎える。残す処5年半、この間の目標を、戦後初優勝を含めミニマム13勝して100勝に乗せることとした。さらに、その後の100年間でも100勝出来る強固な基礎基盤を造り上げる?全国トップの文武両道モデル校の実現!それが私の使命だと心した。事の成否は別として、やってみる価値は充分にある。

長年解説を担当し、また直近3年半、熊本秀岳館で選手とともに甲子園を戦ってきて感じたことがある。
2016年、秀岳館は13年振りに甲子園に出場し3季連続準決勝に進出した。がしかし、後2つが勝ち切れなかった。マスメディアの皆さんからは『ベスト4の壁』と評された。
しかし確実に言えること、それは甲子園に『壁』などなかった??
日頃積み上げた自信は確実に成果となり、やり残した不安はピンチとなり、容赦なく襲いかかってくる。それが甲子園だった。
甲子園では、選手がギリギリの場面で繰り広げるひとつひとつののプレーにスタンドからは、大きなため息や、どよめきが起こり、試合終盤での敗色濃厚な側に対する大声援が巻き起こる(まさしく判官びいき)・・・これに一喜一憂すると大逆転など、通常考えられない感動のドラマが展開される。
実力伯仲、勢いのあるチーム同士の戦いが繰り広げられる甲子園では、そんなことが往々にして起こる・・・
これを評して「甲子園には、魔物が棲んでいる?」「まさかの坂を越えないと?」声高にそう比喩する実況放送も聞くが、甲子園には、魔物も居なければ、まさかの坂もない。只ひとつ言えること、それは甲子園は、日常を映し出す鏡だっだ。
毎日のたゆみない努力の積み重ねの結果が影となり日向となってプレーに反映される。それが甲子園だ。

戦う相手監督が組み上げたオーダーを見れば、その方の野球観が分かる。作戦を見れば「成る程、あの人の教え子だったか??」とその方の歩みが分かる。選手のマナーを見れば、その指導者の人格が分かる。
まさしく野球は、時代を超え脈々と繋がる喜怒哀楽の人間学だ。野球があったからこそ今の自分の人生がある。そんな想いで母校グラウンドで舞う孫のような選手たちの姿を追う毎日が続いている。

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